第3回:2000年代 、ひとり一台PC時代の幕開けと、デジタルとアナログの往復 – デジタルツールが変えた働き方
2000年代の朝
月曜日の朝、オフィスに入ると、デスクのWindows XPが特徴的な起動音を鳴らしています。マウスを動かしてログイン画面にパスワードを入力し、Outlookを立ち上げる。週末の間に溜まった50通の未読メール。件名を眺めながらスクロールしていると、画面右下に見慣れた警告が表示されました。
「メールボックスの容量が上限に近づいています。不要なメールを削除してください」
ため息をつきながら、古いメールを選んで削除していきます。添付ファイルの大きなメールは、内容を確認してから社内サーバーの共有フォルダに保存し直す。この作業だけで15分。ふと事務所の出入り口付近を見ると、行き先掲示板のホワイトボードで誰かが磁石の名札を動かしています。
2000年代は「ひとり一台PC」「ひとり一つのメールアドレス」が当たり前になった時代でした。仕事はデジタルツールで効率化されたはずなのに、最終的にはいつも紙で提出。メールが導入されたのに、結局は電話で確認する。Google検索で情報が手に入るのに、会社のネット利用は監視される。デジタルとアナログが奇妙に共存した、試行錯誤の10年間。今回は、その過渡期の日常を振り返ります。
朝の日課:メール、グループウェア、そして行き先掲示板
朝、デスクに着いたらまずPCの電源を入れ、コーヒーを淹れに行く。戻ってくる頃にはログイン画面が表示されている。起動に数分かかるのは当たり前。これが2000年代の朝の儀式でした。
「ひとり一台PC」のスローガンのもと、デスクトップPCが全社員に配布されるようになったのがこの時期です。WordやExcelは標準装備。PowerPointでプレゼン資料を作る人も増えてきました。2001年に登場したWindows XPで安定性が増し、「やっとPCで仕事ができるようになった」という実感がありました。

2001年に登場したWindows XPで安定性が増し、「やっとPCで仕事ができるようになった」という実感がありました
メールチェックと容量制限との戦い
PCが起動したら、まずメールチェック。これが2000年代の朝の新しい習慣になりました。
「件名:【重要】本日の会議について」 「件名:Re: Re: Re: 先週の件の確認」 「件名:お疲れ様です(添付ファイルあり)」
受信トレイには、社内外から様々なメールが届いています。「とりあえずCCに入れておこう」という文化が定着し始めたのもこの頃。上司や関係者を「念のため」CCに入れることで、「報告・連絡・相談」の証拠を残す。メールは便利でしたが、同時に「メール疲れ」も始まっていました。
そして、この時代の最大の悩みがメールボックスの容量制限でした。
多くの企業では、一人あたりのメールボックス容量が100MBや200MB程度。添付ファイルの上限も2MBや5MBという制限がありました。ExcelやPowerPointファイルを添付すると、すぐに上限に達してしまいます。
「容量が上限に近づいています」という警告が表示されると、古いメールを一つ一つ開いて削除していく作業が始まります。でも、「あとで必要になるかも」と思うと、なかなか削除できない。結局、添付ファイルだけを社内の共有フォルダに保存し直して、メール本文だけを残す。この「メール整理」だけで、毎週30分以上を費やす人も珍しくありませんでした。
グループウェア – 基本機能は使うが、それ以上は…
メールチェックが終わると、グループウェアの電子掲示板も一応開きます。
Lotus Notes、Exchange Server、サイボウズ。企業によって導入されているシステムは様々でした。グループウェアは、電子メール、スケジュール管理、電子掲示板、ワークフローなど、多彩な機能を一つにまとめた統合プラットフォームでした。
メールや予定表といった基本機能は日常的に使われていました。でも、申請・承認のワークフローや複雑なデータベース機能まで活用できる企業は限られていました。
理由は単純でした。業務プロセスは職場ごとに異なるからです。営業部と経理部では求められる業務フローが違う。本社と工場では仕事の進め方が違う。全社統一のシステムを導入しても、それぞれの現場に合わせてカスタマイズしようとすると、設定が複雑になり、結局使いこなせない。
特にLotus Notesは先進的で、使いこなしている部署では熱心に活用され、その効果は目を見張るものがありました。でも、全社規模での浸透は難しかったのです。これは今の時代も同じ課題です。
この時期、チャットアプリやユニファイドコミュニケーション(UC)ツールも少しずつ登場し、紹介されていました。でも、まだ浸透までは至っていません。本格的な普及は2010年代からです。スケジュール共有機能はあっても、個人の予定を入れて公開する文化はまだありません。「○○さん、今日の午後、時間ありますか?」と聞かれても、直接本人に内線電話で聞く。あるいは、デスクまで歩いていって声をかける。
デジタルツールはあるのに、結局はアナログなコミュニケーションに頼っていたのです。
行き先掲示板 – アナログが頼り
メールとグループウェアのチェックが終わると、今日の予定を確認します。立ち上がって、事務所の出入り口付近に設置された行き先掲示板を見に行きます。
ホワイトボードには社員の名前が書かれた磁石の名札が並んでいました。「社内」「外出」「休暇」「出張」。今日、誰がどこにいるのかを確認するには、この掲示板を見るのが一番確実だったのです。
デジタルツールで予定を共有できるはずなのに、実際にはこのアナログな掲示板が頼りでした。出社したら磁石を「社内」に動かし、外出するときは「外出」に。この習慣は、2010年代に入ってもしばらく残り続けました。
午後の会議に向けて:資料を作る
掲示板を確認すると、今日は午後に重要な会議があることを思い出します。まだ資料ができていません。急いで準備を始めなければ。
「ググる」という新しい情報の探し方
資料を作る前に、わからないことを調べます。2000年代、仕事における情報の探し方が大きく変わりました。Google検索の登場です。
1998年に創業したGoogleは、2000年代に入って急速に成長し、「検索=Google」という時代が到来しました。そして、いつしか「ググる」という新しい動詞が生まれたのです。
検索窓にキーワードを入力するだけで、膨大な情報にアクセスできる。「ExcelでVLOOKUP関数の使い方」「プレゼン資料 デザイン コツ」。社内マニュアルより、ネット検索の方が速くて正確なことも多かったのです。
でも、会社でのインターネット利用には、もう一つの側面がありました。企業によっては、社員のネットアクセスを監視していました。業務に関係ないサイトを見ていれば、注意される。2000年代初頭は、「仕事中にインターネットを使うこと」自体に、まだ抵抗感があった時代でもあったのです。
それでも、若手社員を中心に、「ググる」文化は確実に広がっていきました。先輩に聞くより検索の方が速い。でも、それを口には出せない。こっそりググって、さりげなく問題を解決する。
紙ノート→PC編集
わからないことをググりながら、資料作成に取り掛かります。
まず、紙のノートを開いて、会議で話す内容を整理します。箇条書きでポイントをメモし、図を描いて構成を考える。頭の中を整理するには、やはり紙とペンが一番でした。
ノートにまとめた内容を見ながら、今度はPCでPowerPointを開きます。スライドを作り、グラフを挿入し、文字のサイズやレイアウトを調整する。ExcelやWordで作った表も、コピー&ペーストで貼り付けます。
ようやくスライドの編集が終わりました。
ファイルサーバーに保存、そして印刷
資料を保存しなければなりません。デスクに戻り、社内のファイルサーバーにアクセスします。
ネットワーク上の共有フォルダには、部署ごとに階層化されたフォルダが並んでいます。IT部門が整理したフォルダ構造に従って、保存場所を探します。過去の会議資料フォルダを開くと、似たようなファイル名が並んでいます。
営業会議資料_最終版.xls
営業会議資料_最終版2.xls
営業会議資料_最終版_final.xls
営業会議資料_本当の最終版.xls
営業会議資料_0930最終.xls
どれが本当の最新版なのか…。ファイルを開いて確認しなければなりません。
このファイルサーバーは、社内ネットワークでしかアクセスできません。つまり、出社しないと仕事にならないのです。一部の社員にはVPNの利用が許可されていましたが、設定が複雑で、利用できるのは「本当に必要な一部の社員だけ」。多くの人にとって、仕事=出社、でした。
作成した資料をファイルサーバーに保存します。ファイル名は「営業会議資料_1006.ppt」。日付を入れておけば、あとで探しやすいでしょう。
保存が終わったら…これで終わりではありません。会議資料は、人数分印刷して配布するのです。
プリンターの前には列ができています。みんな、会議資料を印刷しているのです。印刷が終わったら、ホチキスで留めます。
参加者は10名。10部の資料を持って、会議室へ向かいます。

保存が終わっても仕事は終わりません
会議資料を印刷し、ホチキス留めして、
人数分を会議室へ運ぶのです
会議の準備と会議後:デジタルとアナログの往復
会議室に資料を配布
会議室に着いたら、各席に資料を配布します。一人一人の席に、資料を置いていきます。
「せっかくPCで作ったのに、なんで印刷して配るんだろう…メールで送れば済むのに」
若手社員は心の中でそう思いますが、口には出しません。「昔からこうだから」「これがウチのやり方だから」。誰も疑問を口にしない雰囲気がありました。
当時の職場には、はっきりとした上下関係がありました。上司や先輩の言うことを素直に聞き、指示通りに遂行する。それが評価され、将来の出世や成功につながる。そう信じられていた時代でした。新しいやり方を提案するよりも、従来のやり方を守ることが求められていたのです。
会議が始まると、参加者は配られた紙の資料を見ながら議論します。誰かが手書きでメモを取り、重要な部分に赤ペンで印をつけます。
会議後:議事録作成とファイリング
会議が終わったら、若手は議事録の作成に取り掛かります。
会議中に取ったメモを見ながら、PCで議事録を作成します。決定事項、宿題事項、次回の予定。Wordできれいにまとめたら、全員にメールで送信します。
でも、これで終わりではありません。
議事録を印刷して、ファイルに綴じるのです。会議資料と一緒に、専用のバインダーに保管します。「あとで見返すときは、ファイルを探した方が早い」というのが、ベテラン社員の考え方でした。
そして次回の会議では、また同じことを繰り返します。資料をPCで作成し、人数分印刷し、会議室の各席に配布する。議事録をPCで作り、メールで送信し、紙で印刷してファイリングする。
デジタルとアナログを何度も往復する二重作業。
ベテラン社員にとっては、「昔は手書きで資料を作っていたから、PCで編集できるだけ便利になった」という実感がありました。でも、若手社員は違います。「もっと効率化できるのに…」。そう感じても、言えない空気がありました。
ツールは新しくなったのに、やり方は昔のまま。これが、2000年代のオフィスの現実でした。

デジタルとアナログを何度も往復する二重作業
ツールは新しくなったのに、やり方は昔のまま
これが、2000年代のオフィスの現実でした
まとめ:過渡期が教えてくれること
2000年代を振り返ると、そこには「過渡期」という言葉がぴったりの風景が広がっています。
一人一台PCが配布され、一人一つのメールアドレスを持つようになった。Windows XPで安定したOS環境が整い、WordやExcelで資料を作るのが当たり前になった。Googleで情報を検索する「ググる」文化も生まれました。デジタルツールは、確実に増えていきました。でも、最終成果物は「紙」に戻る。会議資料は印刷して配布し、議事録もファイリングする。グループウェアは導入されたけれど、全社浸透は難しく、行き先掲示板のホワイトボードが現役で活躍している。ファイルサーバーは社内にあるから、出社しないと仕事にならない。デジタルとアナログの奇妙な共存。これが、2000年代のオフィスの姿でした。
あの試行錯誤の時代があったからこそ、今のデジタル環境があります。2000年代は、デジタル化の土台を築いた時代でした。一人一台PC、電子メール、ファイルサーバー、Google検索。これらすべてが、次の2010年代への「種まき」だったのです。
そして2010年代、スマートフォンとクラウドの登場によって、この「デジタルとアナログの共存」は、ついに終わりを迎えることになります。
次回予告:2010年代、スマートフォンとクラウドが働き方を変えた
スマートフォンとクラウドの普及で、「出社必須」が崩れ始めた2010年代。
ペーパーレス化が加速した職場の変化を振り返ります。