第2回:1990年代、デスクは内線電話、引き出しには電話帳 – デジタルツールが変えた働き方

1995年、月曜日の朝

「プルルルル…」

デスクに置かれたオフィスホンが鳴る。内線3桁の番号が液晶に表示される。受話器を取ると、総務部からの連絡だ。「営業二課の田中さん、いますか?」留守番電話の確認を済ませると、次は朝礼の時間。掲示板には先週の売上報告が貼り出され、課長が昨日のゴルフの話をしている。

デスクに戻ると、Lotus 1-2-3で作った見積書をプリントアウト。一太郎で作成した稟議書に、上司から順番にハンコをもらって回る。「ハンコは左にお辞儀するように押すんだよ」と先輩に教わったばかりだ。

オフィスのラジオからは「24時間戦えますか?」のリゲインCMが流れている。バブルは崩壊したけれど、働き方はまだ昭和の延長線上にあった。1990年代のオフィスは、デジタルツールが少しずつ入ってきながらも、まだまだアナログな人間関係と紙の文化が支配する空間だった。


当時のツールたち

オフィスホン全盛期

デスクには必ずオフィスホン(ビジネスフォン)が置かれていた。内線は3桁の番号で、PBX(構内交換機)に繋がっている。外線に出るときは「9を押してから」とか、転送機能の使い方を覚えるのも新人の仕事だった。受話器を持ち上げるだけで誰かと繋がる便利さがある一方、電話が鳴るたびに仕事が中断される日常でもあった。

引き出しには分厚い電話帳。タウンページとハローページ、そして社内の電話番号リスト。取引先の担当者の電話番号は手帳に手書きで記録していた。

携帯電話・PHSの登場

1990年代半ば、携帯電話やPHSが徐々に普及し始める。ただし通話料は高く、持っているのは営業部門の一部や管理職だけ。「ショルダーホン」と呼ばれる肩掛け式の巨大な携帯電話から始まり、すぐにポケットサイズへ。それでも「外出先から会社に電話できる」というだけで画期的だった。

PCはまだ「専門家の道具」

デスクにPCがあるのは、まだ一部の社員だけ。「一人一台PC」はスローガンではあったが、現実には程遠い。使えるソフトは、表計算ならLotus 1-2-3、ワープロなら一太郎やWordPerfect。Microsoft Officeがまだ首位を取る前の時代だ。

ExcelやWordも存在したが、Windows 95の登場でようやく一般化が始まったばかり。多くの企業では「PCが使える人」が重宝され、「パソコンに詳しい若手」に仕事が集中していた。

紙が正式、FAXは速報

社内外の連絡で、正式な書類はやはり紙だった。重要な契約書や稟議書は、速達やバイク便で届けるのが当たり前。FAXは「とりあえず速報」として使われていたが、あくまで補助的な存在。オフィスのFAXは複合機に組み込まれた普通紙タイプで、受信した書類はトレイに溜まっていった。


こうやって仕事をしていた

朝はタイムカードから

出社したら、まずはタイムカードを「ガシャン」と打刻機に通す。この物理的な音が、一日の始まりだった。遅刻したら手書きで理由を記入する欄がある。

デスクに着いたら留守番電話の確認。前日の夕方以降に入った伝言を聞き、メモに書き取る。「○○商事の山田様から折り返しのお電話です」という伝言が、小さな付箋に書かれて貼られていることもあった。

内線電話と対面報告

連絡手段は内線電話か、直接席まで行くか。「ちょっといい?」と声をかけて、隣の課の人に確認する。記録を残したいときは、紙の書類を手渡しするのが確実だった。

上司への報告も、基本は対面。「課長、少しお時間よろしいですか」と声をかけて、メモを見せながら口頭で説明する。重要な報告は、紙の報告書を作って提出する。

紙中心の情報共有

社内の連絡事項は、掲示板に貼り出される。新しいお知らせが来ると、誰かが「回覧板が回ってきたよ」と声をかけて、部署内で順番に回していく。一人ひとりが確認したら印鑑を押して、次の人へ。全員に回り終わるまで数日かかることもあった。

朝礼では、課長が口頭で伝達事項を読み上げる。メモを取る人、聞き流す人。情報の伝わり方にムラがあるのは、今考えると当たり前だった。

稟議書とハンコ文化

何か新しいことを始めるには、まず稟議書を作る。一太郎やWordで文書を作成し、プリントアウト。それを持って、関係部署や上司を回る。

「ハンコは左にお辞儀するように押す」──これが当時の作法だった。書類の右から左へ、下の役職から上の役職へ、ハンコが斜めに傾いていく。まっすぐ押すのは失礼、右に傾けるのは「お辞儀しない」ことを意味するとされた。

一つの稟議が通るまで、数日から数週間。途中で差し戻されれば、また一から作り直し。決裁が下りるまで、企画は動き出せない。

紙の資料とファイル保管

会議資料はすべて印刷して配布。参加者の人数分をコピー機で刷り、ホチキスで留める。会議後の資料は、ファイルに綴じて書庫へ。

「あの資料、どこだっけ?」と探すとき、ファイルの背表紙を一つひとつ確認していく。運が悪ければ、倉庫の奥の段ボール箱まで掘り起こすことになる。

ドキュメントへのハンコ、回覧する書類

とにかく、オフィスは紙で溢れていた。デスクの引き出しには過去の資料、机の上には今日中に処理すべき書類の山。「ペーパーレス」という言葉は聞こえ始めていたが、現実はほど遠かった。


なぜこういう働き方だったのか

明確な階層構造と年功序列

1990年代の日本企業は、まだ「組織の階層」が明確だった。情報は上から下へ流れ、決裁は下から上へ上がっていく。年功序列が当たり前で、入社年次が数年違えば「先輩・後輩」の関係は絶対だった。

この構造の中では、「誰が決めるか」が重要だった。だから稟議書は複数の上司を回り、ハンコの数が多いほど「ちゃんとした手続き」とみなされた。

形式とプロセス重視の文化

結果だけでなく、プロセスも大事にする。「ちゃんと手順を踏んだか」「関係者に根回ししたか」「形式は整っているか」──こうしたことが評価された。

だからハンコの傾きにも意味があった。形式を守ることが、組織への敬意を示すことだったのだ。

「顔を合わせてナンボ」「会社に来てナンボ」

「仕事は顔を合わせてするもの」という信念が強かった。紙の書類と顔を合わせて話すことが重要視されていた。だから営業マンは毎朝会社に出社してから、取引先へ向かう。在宅勤務なんて、考えられない時代だった。

タイムカードを押すこと、会社にいる時間の長さが「働いている証」だった。残業は「頑張っている証拠」であり、定時で帰る人は「やる気がない」と見られることもあった。

根回しと和の文化

会議で初めて提案が出される、ということは少なかった。事前に関係者に話を通し、反対意見を潰しておく。会議は「決まったことを確認する場」に近かった。

この根回し文化は、調整コストが高い反面、実行段階での抵抗が少ないというメリットもあった。「みんなで決めた」という合意形成が大事にされた。

バブル崩壊後の危機感と保守性

1991年のバブル崩壊後、日本企業は停滞と危機感の中にあった。「リストラクチャリング」「リエンジニアリング」といったカタカナ経営用語が飛び交い、経営層では変革の必要性は叫ばれていた。

しかし実際に変わることへの抵抗も強かった。「日本には日本のやり方がある」「急激な変化は組織を壊す」──そんな声が聞こえる中、デジタルツールは導入されたが、使い方は昭和のままだった。

「24時間戦えますか?」の時代

リゲインのCMのキャッチコピーが象徴するように、長時間労働が美徳とされた時代。携帯電話もPCも登場したが、それは「より長く、より効率的に働く」ための道具として受け入れられた。

働き方を変えるための技術ではなく、既存の働き方を強化するための技術として、デジタルは取り込まれていったのだ。


時代の空気

バブル崩壊後の1990年代、日本企業には停滞感と危機感が同居していた。「このままではまずい」という焦りはあったが、何をどう変えればいいのか、はっきりしなかった。

「リストラクチャリング」「ダウンサイジング」「リエンジニアリング」──カタカナの経営用語が次々と入ってきた。コンサルタントが「変革」を説くセミナーが開かれ、経営層は頷いた。

でも現場では、「結局、日本には日本のやり方がある」という声が根強かった。新しいツールは入ってきたが、古い働き方の枠組みの中に取り込まれていく。

PCは導入されたが、使い方は従来の延長。Lotus 1-2-3でできることは、電卓とそろばんでやっていたことの延長だった。FAXは速くなったが、やり取りの本質は紙の時代と変わらなかった。

デジタルツールは導入されたが、古い働き方の中に取り込まれた。

これが1990年代の、一つの真実だったのかもしれない。

デジタルツールは導入されたが、
古い働き方の中に取り込まれた

これが1990年代の、一つの真実だったのかもしれない


まとめ・気づき:今振り返って見えること

30年後の今から振り返ると、1990年代の「当たり前」は、驚くほど遠い世界に見える。

「ハンコを左にお辞儀」「24時間戦う」という働き方。内線電話と紙の回覧板。これらは当時、誰も疑わなかった日常だった。

しかし、この時代が私たちに教えてくれることがある。それは、ツールが進化しても、使い方を決めるのは組織の文化だということ。

PCが入っても、携帯電話が普及しても、それが働き方を変えるとは限らない。むしろ1990年代は、新しいツールが古い文化に取り込まれた時代だった。「より長く働く」「より効率的に既存の仕事をこなす」──そのための道具として、デジタルは使われた。

真の変革は、ツールの導入ではなく、職場文化の変容から始まる。

それが、1990年代から学べる最大の教訓かもしれない。


次回予告:2000年代、インターネットが職場に
電子メールが一般化し、社内ネットワークが当たり前になった2000年代。「ググる」という言葉が生まれ、情報の在り方が変わり始めた時代を振り返ります。


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